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本校設立に

あたって

​「水が合う」ところはそれぞれ。教育に選択肢を。


私は、 長く教育に携わり、これまでに多く

の子どもたちに出会わせてもらいました。

学校生活の中で、どんどんと自分を成長

させ、自分の人生を生き生きと歩み出す。

そうした子どもたちにたくさん関わる

ことができ、とても光栄でした。

しかしその一方で、生きる活力が

削がれていく子たちも多く見てきました。

教員としての自分の力のなさを嘆きつつ

模索する日々。

どうしたらこの子たちが生き生きと

目を輝かせて生きることができるのか

試行錯誤の毎日でした。

しかし、自分がどんなに努力しようと、

どんなにクラスが上手くいってようと、

関係ありませんでした。

そして、そのような子どもたちは、現実に

同じ校舎に何人も存在しました。

多くのはつらつとした子どもたちの陰で、

学校に息苦しさを感じている子が

いるという現実を、私は

見逃すわけにはいきませんでした。

いたたまれない気持ちが支配していまし

た。そういった子を一人でも減らすために

学校の「教師」を志した私。

教員採用試験の面接官から言われた

あの一言が、脳裏をよぎります。

「"学校"では君の志は叶わないよ」

それからというもの、この言葉を払拭

するために何年もチャレンジしましたが、

この言葉の本当の意味を

思い知るばかりでした。

私の息子も例外でありませんでした。

暴言や暴力が目に余ってきたころ、

勧められた精神科へ行くと、

「発達障害」。薬を処方されました。
しかし、根本的解決には至りません。

 

私が接してきた多くの子どもたちと

同じように、今、全国でもたくさんの

子どもたちが苦しんでいます。

実際に、我が国では少子化が進む一方で、

不登校の子どもたちの数は、毎年毎年

史上最多を更新し続けています。

不登校の20万人以上の子どもたちは、

今日を明日をどのように生きているの

でしょうか。

また、10代から30代の死因のトップが、

自殺です。これも過去最多で右肩上がり。

「先進国」の中で、これほど多くの子ども

が自らの命を断つ国はありません。

いじめの問題も、日本の学校現場に

長く横たわっています。

今を、そして明日を生きる子どもたちに

「待った」は許されるでしょうか。

家庭の問題だと言われれば完全に否定

することはできません。しかし、

子どもたちは「学校」にNOを突きつけて

いるのです。

既存の「学校」にマッチしない子は、

「発達障害」や「不登校」というラベル

を貼られ、社会から「可哀そうな子」と

して肩身の狭い思いを強いられています。

学校でのストレスの他にも、

学校に馴染めない自分を責めたり、

親や周りが悲しんでいるのを感じたり、

偏見や憐憫の眼差しを向けられたりして
何重もの苦しみが10代の細い肩に

重くのしかかっています。

こうして心も体もボロボロになってしまう

子どもたちを私は多く見てきました。​

そして、そうなってしまった子どもたち

は、大人が想像するよりはるかに

たくさんの時間を「回復」のために

当てなくては​ならないことも、

私は身を以て体験してきました。

疲弊しきって魂や身体がそうなる前に

なんとかならなかったものか。

打つ手はなかったのか。

我が子を含め、子どもたちを目の前にする

たびにそんな疑念がわいてきます。

子どもたちが悪いのでしょうか。

先生たちがいけないのでしょうか。

親がダメなのでしょうか。

もちろん、答えはすべてNOです。


子どもたち、これ以上頑張ってはいけない。

先生たちも必死で頑張っています。

子どものことを本当によく思っています。

なのに、こうした子どもたちが減らない

のはなぜでしょうか。

理由は簡単です。

学校の外に

選択肢が少なすぎるからです。

海外で広く認められているオルタナティブ

教育ですが、日本ではまだ決して

そうとは言い切れません。

「教育機会確保法」が、施行されて

数年たった今でも、です。

そもそも学校以外にも選択肢があれば、

子どもたちは何もこんなに苦しむことは

ありません。

例えば、「水が合う」や「死んだ魚の目」

という表現がありますが、昔の人はよく

言ったものです。

もし淡水魚が、海水の張った水槽に

入れられてしまったら。

また、もし深海魚が、浅瀬のいけすに

入れられたなら。

"海水水槽"や"いけす"に合わなかった

淡水魚や深海魚は、すぐに死を迎え

やがて水底に沈んでいくことでしょう。

ただ「水が合わなかった」だけで。

つまり子どもたちにとっては学校の

「水が合わなかった」というだけ。

いくら綺麗な海水を用意したところで、

淡水魚には苦しいだけです。

もし淡水魚に、“淡水水槽“が用意されて

いたら。もし海底に"いけす"が張られて

いたなら。そもそも水槽やいけすに入ら

ないでもよいとしたら。

人間にも同じことが言えるはずです。

人間も自然の摂理に則った生き物です。

もし、自分の近くに「水の合う」学び場

があったなら。

もっと既存の「学校」以外の選択肢が

近くに用意されていたなら。

そうすれば、きっと、死んだ魚の目に

ならないどころか、目を輝かせて

生きて行けることでしょう。

だから、私はまず、一つでも多く、

学校外の選択肢を増やすために働きたい。

やり方はいろいろあっていい。

「水が合う」場所は、人それぞれだから。

運営する人が心地よい場を作ることで、

その「水」に合う子どもたちが集まる。

それは、できたら、住む場所の近く

にあるといい。

だからどうか一日でも早く

一人でも多くの子どもたちにとって

それぞれに「水が合う」環境が、

用意されますように。

子どもたちが自分らしく生きることが

できる社会を願って。

2022年9月改​

あとらぼ代表

山 田 朋 和

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